1585年8月29日(天正13年8月5日)、日向伊東氏の当主だった伊東義祐が亡くなりました。義祐は都於郡城を本拠に日向で勢力を広げ、一時は国内の大半へ影響力を及ぼしました。しかし、南から勢力を伸ばす島津氏との抗争によって、その支配は崩れていきます。
1577年、伊東氏は島津氏に敗れ、義祐は一族や家臣とともに日向を離れて豊後の大友宗麟を頼りました。大友氏による日向進攻も耳川の戦いで失敗し、義祐はさらに伊予などへ移ります。かつて広い領域を治めた大名が、所領を失って各地を頼る晩年でした。
義祐はのちに豊臣秀吉を頼って家の再興を図ろうとしましたが、その途上で亡くなったとされます。日向へ戻ることはかないませんでしたが、子の祐兵は秀吉に仕え、九州平定後に飫肥の所領を得ました。義祐の死は伊東氏旧領回復の前に訪れ、その願いは次の世代へ引き継がれました。父が見られなかった日向への帰還を、子の世代が実現することになります。