1559年11月5日(永禄2年10月6日)、狩野派の絵師・狩野元信が亡くなりました。元信は室町幕府の御用絵師を務めた狩野正信の子で、狩野派の2代目にあたります。父が築いた基盤を、長く続く絵師集団の仕組みへ発展させた人物です。
元信は中国絵画を手本とする漢画を受け継ぐ一方、日本のやまと絵にも制作の範囲を広げました。水墨画だけでなく、彩色絵巻、金碧画、風俗画、扇絵など多様な注文に応じ、襖や屏風の大画面から小さな画面まで手がけました。この幅広さが、公家、武家、寺社、町衆など多くの注文主を得る力になります。
サントリー美術館の解説によれば、元信は中国絵画に由来する筆法を整理し、真・行・草の三つの「画体」を確立しました。弟子たちが共通の型を学ぶことで、工房全体が分担しても統一感のある作品を仕上げられるようになります。個人の技量だけでなく、集団制作の方法を整えたことが狩野派の強みとなりました。
元信の死後は子の松栄、孫の永徳らがその基盤を受け継ぎました。永徳は織田信長や豊臣秀吉のもとで城郭を飾る大画面を制作し、狩野派は江戸時代には幕府の御用絵師として全国へ広がります。元信の死は、完成された工房と様式が次の世代へ渡された節目でした。