1643年10月26日(寛永20年9月14日)、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母を務めた春日局が亡くなりました。本名は福といい、明智光秀の重臣・斎藤利三の娘として生まれた女性です。
父の利三は本能寺の変の後に処刑され、福は母方の縁者に養育されました。のちに稲葉正成の妻となり、正勝らをもうけます。その後、徳川秀忠の嫡男・竹千代、後の家光の乳母となりました。家光が将軍に就くと、春日局はその身近に仕え、江戸城内で大きな役割を担います。
春日局は幕府から与えられた本郷湯島の地に寺を開きました。文京区によれば、寺は当初「報恩山天沢寺」と名づけられ、のちに春日局が授けられた法号にちなみ「天沢山麟祥院」と号するようになりました。麟祥院は春日局の菩提寺となり、現在も墓所や書簡など、ゆかりの文化財を伝えています。
春日局の死後も、麟祥院ではその事績をしのぶ行事が続いています。家光を育てた乳母としてだけでなく、自らの菩提寺と文書を通じ、江戸初期の政治と女性の役割を考える手がかりを残した人物です。