1623年8月29日(元和9年8月4日)、福岡藩初代藩主・黒田長政は京都で亡くなりました。長政は関ヶ原の戦いで東軍に属し、諸将への働きかけと本戦での軍功を評価され、戦後に筑前国を与えられました。名島城から新たな福岡城へ本拠を移し、城下町の建設を進めます。
福岡の町は、新しい城下町だけで成り立ったわけではありません。中世以来の商業都市・博多と、福岡城を中心とする武家地が隣り合い、それぞれの機能を担いました。長政の治世は、この二つを藩の中心として整え、黒田家の統治を筑前に定着させる時期でした。
長政は上洛中に病み、死の2日前には遺言を残しました。死後、嫡男の忠之が家督を継ぎますが、父の代から仕えた重臣との関係はのちに黒田騒動へつながります。長政の死は、戦国期を生き抜いた初代藩主から、完成しつつある藩を受け継ぐ次世代へ、福岡藩の統治が移る節目でした。初代の権威を次代がどう継ぐかが問われることになります。