1648年10月1日(慶安元年8月15日)、松平直基が亡くなりました。直基は結城秀康の子で、徳川家康の孫にあたります。越前勝山、大野を経て出羽山形15万石を治め、この年、西国の重要拠点である播磨姫路15万石への転封を命じられていました。
しかし直基は姫路へ入る前に病で亡くなり、実際に姫路城で藩政を行うことはありませんでした。死去場所については江戸とする記述と、赴任の途中とする資料があり、説明が一致していません。姫路市の歴代城主一覧には、直基と、後を継いだ直矩がともに1648年の城主として記録されています。
家督を継いだ直矩は数え7歳でした。幕府は幼い藩主に姫路のような要地を任せず、翌1649年に越後村上へ移し、姫路には榊原忠次を入れました。直基の死は、領主本人が新領地へ入らないまま後継と次の転封が決まり、幕府が大名家と要地の配置を組み替えた例となりました。