命日

松永久秀が亡くなる

1577年11月19日(新暦)

天正5年10月10日(旧暦)

松永久秀を描いた人物画像

1577年11月19日(天正5年10月10日)、松永久秀が大和国の信貴山城で自害し、城が落ちました。久秀は三好長慶のもとで台頭し、大和へ進出して信貴山城と多聞城を拠点に勢力を築いた武将です。

三好政権が衰え、織田信長が畿内へ進出すると、久秀は信長に従いました。一度は信長に背いたものの降伏して許されます。しかし1577年、石山本願寺を包囲する陣から離れ、再び信長に反旗を翻して信貴山城へ籠もりました。

信長は嫡男・織田信忠を総大将とする軍勢を大和へ送り、筒井順慶らも攻城に加わりました。信貴山城は奈良盆地と河内を見渡す大規模な山城でしたが、包囲と攻撃を受けて落城します。久秀は城内で自害し、城もこの時に廃されたと考えられています。

久秀が名物茶釜「平蜘蛛」を砕いて爆死したという逸話は有名ですが、後世の軍記で形づくられた部分を含みます。確かに確認できるのは、信貴山城の落城と久秀の自害です。この死によって大和で長く続いた久秀の勢力は終わり、筒井順慶が信長のもとで大和支配を固めていきました。

出典

奈良県「信貴山城」、https://www.pref.nara.lg.jp/ikasu-nara/naranoshiro/shigisanjo/index.html (閲覧日:2026-09-30) 奈良県「松永久秀墓(所在:達磨寺)」、https://www.pref.nara.lg.jp/ikasu-nara/bunkashigen/main00099.html (閲覧日:2026-09-30) 奈良県「令和6年度指定文化財 概要 信貴山城跡」、https://www.pref.nara.jp/secure/320540/7shigisannjouato.pdf (閲覧日:2026-09-30) Wikipedia contributors「松永久秀」、https://ja.wikipedia.org/wiki/松永久秀 (西暦日付と生年異説の確認、閲覧日:2026-09-30) 戦国探訪録「筒井順慶が亡くなる」、https://sengoku-tanbou.jp/history/deaths/ (既存記事との書き分け確認、閲覧日:2026-09-30)