命日
中江藤樹が亡くなる
1648年10月11日(新暦)
慶安元年8月25日(旧暦)
1648年10月11日(慶安元年8月25日)、儒学者の中江藤樹が近江国小川村で亡くなりました。数え41でした。藤樹は伊予大洲藩士を辞して故郷へ戻った後、身分を問わず人々を教え、学問を日々の行いに結びつけることを重んじました。
門人が増えると、藤樹は自宅近くに学びの場を設けます。高島市の資料によれば、亡くなる年の1648年2月には、新しい講堂である藤樹書院が完成しました。しかし藤樹はすでに病を抱えており、書院の完成から半年余り後に世を去ります。現在の建物は後世の再建ですが、書院跡は国の史跡として残されています。
藤樹の死後、その教えは熊沢蕃山をはじめとする門人たちによって伝えられました。地元でも遺徳が語り継がれ、後に「近江聖人」と呼ばれるようになります。藤樹の死は教育の終わりではなく、完成したばかりの書院と門人を通じて、その学問が各地へ広がる出発点となりました。
出典
高島市「中江藤樹」: https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/bunkasports/bunkazaika/1/1/670.html
高島市「藤樹書院」: https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/bunkasports/bunkazaika/1/1/712.html
喜多方市「中江藤樹略年譜」: https://www.city.kitakata.fukushima.jp/site/nakae/1097.html
大洲市「中江藤樹の邸跡」: https://www.city.ozu.ehime.jp/site/bunkazai/0201.html
Wikipedia「中江藤樹」: https://ja.wikipedia.org/wiki/中江藤樹