1602年10月13日(慶長7年8月28日)、徳川家康の母・於大の方が亡くなりました。75歳でした。於大は尾張国緒川の水野忠政の娘として生まれ、三河国岡崎の松平広忠へ嫁ぎ、1542年に竹千代、のちの家康を産みました。
水野氏が織田方へ転じると、今川方の松平氏との関係から広忠と離縁したとされます。その後、於大は久松俊勝と再婚し、康元、康俊、定勝らをもうけました。家康が三河で自立した後、異父弟たちは家康に仕えて久松松平家の諸家へつながり、於大は徳川家と久松家を結ぶ存在となりました。
晩年の於大は家康との関係を保ち、家康が天下人への歩みを進める時期まで生きました。法名は伝通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼です。家康は母の菩提を弔うため、江戸の寺を伝通院と改めました。於大の死は家督の交代を伴うものではありませんでしたが、徳川一門形成の基盤となった母の生涯の終わりでした。