1605年9月2日(慶長10年7月19日)、大友義統が配流先で亡くなりました。義統はキリシタン大名として知られる大友宗麟の嫡男で、豊後の大友氏を継いだ人物です。しかし1593年、文禄の役での行動を豊臣秀吉から問題視され、所領を没収されました。
1600年の関ヶ原の戦いでは、西軍側で旧領回復を目指して豊後へ上陸します。大友方は石垣原で黒田・松井方の軍勢と戦いましたが敗れ、義統は降伏しました。戦後は出羽の秋田実季に預けられ、秋田氏の転封に伴って常陸国宍戸へ移されます。
義統は大名への復帰を果たせないまま、48歳で生涯を終えました。大友氏は鎌倉時代以来、豊後を中心に勢力を築いた名門でしたが、義統の死によって戦国大名としての再興は絶たれます。一方、嫡男の義乗は徳川家に仕え、家名は旗本として残りました。義統の最期は、旧領回復をかけた戦いの敗北後、家が別の形で存続していく節目でした。