1619年8月30日(元和5年7月21日)、島津義弘は大隅国加治木で亡くなりました。義弘は島津貴久の次男で、兄・義久を軍事面で支え、島津氏の三州統一と九州進出、豊臣政権下の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いを経験しました。
関ヶ原では西軍に属し、敗戦後に敵中を突破して薩摩へ戻りました。その後、島津家は徳川家康との交渉を重ね、薩摩・大隅などの所領を安堵されます。義弘は家の存続を見届けたのち、加治木で暮らしました。晩年も家中で大きな存在感を持ちましたが、藩政の中心は次代へ移っていきます。
義弘が亡くなると、家臣が後を追って殉死したと伝わります。具体的な人数には資料差があるものの、その死が家中へ大きな衝撃を与えたことがうかがえます。戦国期から近世初頭まで島津氏の戦いを担った義弘の死は、島津家にとって、合戦で家を支えた世代から薩摩藩の統治を担う世代へ移る節目でした。その記憶は、後世の島津家で武勇の象徴として語り継がれます。