1603年10月15日(慶長8年9月11日)、水戸城主の武田信吉が亡くなりました。21歳でした。信吉は徳川家康の五男で、幼名を万千代といいます。武田氏一門の穴山梅雪の子・勝千代が早世した後、その名跡を継いで武田姓を称しました。
家康の関東移封後、信吉は下総小金、佐倉を領しました。関ヶ原の戦いでは江戸城西の丸の留守を守り、1602年、常陸から秋田へ移された佐竹氏に代わって水戸へ入ります。しかし水戸城下の整備が十分でなかったため、一時は菅谷に御殿を置いたとされ、領国経営を始めた直後に病没しました。
信吉には家を継ぐ男子がなく、穴山武田氏の名跡は再び断絶しました。水戸はその後、家康の十男・頼宣を経て、1609年に十一男・頼房へ与えられます。信吉の死は、家康が旧武田氏の名跡と家臣を徳川政権へ取り込む試みが、短期間で終わった節目でした。