1645年10月29日(正保2年9月10日)、米沢藩第2代藩主・上杉定勝が米沢城で亡くなりました。42年の生涯でした。定勝は初代藩主・上杉景勝の長男として生まれ、景勝が亡くなった1623年に家督を継いでいます。
上杉氏は関ヶ原の戦い後、会津120万石から米沢30万石へ領地を減らされていました。定勝が藩主となったのは、限られた領地で多くの家臣を抱える米沢藩が、支配の仕組みを整えていく時期にあたります。
米沢市上杉博物館の解説によれば、定勝の時代には直臣による合議的な政治体制のもと、米沢城内の整備、家臣団の再編、キリシタン取締りの強化、藩内の総検地などが行われました。直江兼続らが主導した景勝期の執政体制から転換し、その後の米沢藩政の基礎を形づくった時代と位置づけられています。
定勝は漢詩や和歌、連歌にも親しみ、公家との交流や家臣への中国古典の講義を伝える記録も残しました。その死は、戦国を生き抜いた父・景勝の後を受け、米沢藩を近世の大名領国として整えた一代の終わりでした。