武将・大名
上杉定勝
うえすぎさだかつ
- 生年
- 1604年
- 没年
- 1645年10月29日(正保2年9月10日)
上杉景勝の後継者
上杉定勝は、慶長9年(1604)に米沢城で生まれた、上杉景勝の長男です。母は公家・四辻公遠の娘でした。上杉氏は関ヶ原の戦い後に会津120万石から米沢30万石へ領地を減らされており、多くの家臣を限られた領地で支えるという課題を抱えていました。
元和9年(1623)に景勝が亡くなると、定勝は家督を継いで米沢藩第2代藩主となりました。その治世は、戦国期以来の上杉家が近世大名として支配の仕組みを整えていく時期にあたります。
米沢藩政の基礎を整える
定勝の時代には、直臣による合議的な政治体制のもとで、米沢城内の整備、家臣団の再編、キリシタン取締りの強化、藩内の総検地などが行われました。直江兼続らが主導した景勝期の執政体制から転換し、その後の米沢藩政の基礎を形づくった時代と位置づけられています。
定勝は漢詩や和歌、連歌にも親しみ、公家との交流や、家臣へ中国古典を講義した記録も残ります。正保2年(1645)に米沢城で亡くなりました。戦国を生き抜いた父の領国を受け継ぎ、上杉家を江戸幕府の大名制度へ適応させた藩主です。
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