1559年9月2日(永禄2年8月1日)、下総国結城を本拠とする戦国大名・結城政勝が亡くなったとされます。政勝は結城氏16代当主として、小田氏や佐竹氏、北条氏などが争う北関東で外交と合戦を重ね、結城氏の領域を広げました。
政勝は領国支配の規則である「結城氏新法度」を定めた人物としても知られます。家臣同士の争い、土地や裁判、軍役などの決まりを明文化し、当主のもとで家中の秩序を整えようとしました。武力による領土拡大だけでなく、法によって家臣団と領国をまとめる段階へ進んだことを示す史料です。
嫡男の明朝が先に亡くなっていたため、政勝の死後は甥で養子の晴朝が家督を継ぎました。なお、命日は一般に旧暦8月1日とされますが、菩提寺・乗国寺の宝篋印塔には8月7日と刻まれており、異説が残ります。現在の結城市には政勝像や御影堂があり、法と信仰によって領国を治めた当主の記憶を伝えています。