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武将・大名

結城政勝

ゆうきまさかつ

生年
1503年
没年
1559年9月2日(永禄2年8月1日)

結城政勝は、戦国時代に下総国結城を本拠とした結城氏16代当主です。父・結城政朝が回復した勢力を受け継ぎ、北下総から常陸西部にまたがる領国を守りました。この地域では小山氏、宇都宮氏、小田氏、佐竹氏、北条氏などが対立と同盟を繰り返しており、政勝は周辺勢力との外交と合戦を重ねながら家中をまとめました。 政勝が経験した代表的な戦いが海老島合戦です。弘治元年(1555)、小田氏治を攻めるため相模の北条氏康へ援軍を求め、翌年には北条勢が派遣されました。結城氏と同盟する小山氏、真壁氏、多賀谷氏、水谷氏、山川氏も加わり、海老島城付近で小田方を破ります。この勝利によって結城氏は多くの小田領を獲得し、政勝の時代に領域は最大規模となりました。 政勝の重要な業績は、領国支配の規則である「結城氏新法度」を定めたことです。家臣同士の争いや土地、裁判、軍役などに関する決まりを明文化し、当主のもとで家臣団の結束を高め、領内の秩序を安定させようとしました。この法度は、戦国大名が独自の規則によって領国を治めた実例を伝える貴重な史料です。 政勝は寺社の保護にも努め、天文22年(1553)には結城氏歴代城主の霊をまつる御廟所を慈眼院へ移しました。仏教への信仰も厚く、乗国寺に伝わる有髪の木造坐像からも寺との深い結びつきが分かります。政勝の死後も、その仁徳を慕った町民が遺髪を納めた像をまつったと伝えられ、現在の結城市には再建された御影堂や政勝像が残っています。武力だけでなく法と信仰によって領国をまとめた、結城氏最盛期の当主です。

この人物に関する歴史

全1件

命日

結城政勝が亡くなる

今日は「結城政勝の命日とされる日」です⚔️ 下総結城氏の戦国大名で、領国法「結城氏新法度」を制定しました。 一般には1559年旧暦8月1日没ですが、乗国寺の宝篋印塔には8月7日とあります。

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