1597年9月23日、慶長の役における南原城の戦いが始まりました。豊臣秀吉は明との和平交渉が決裂すると朝鮮への再出兵を命じ、日本軍は全羅道への進出を目標に左右二軍へ分かれて北上します。宇喜多秀家を主将とする左軍は、全羅道内陸部の要地・南原へ向かいました。
南原城には楊元が率いる明軍約3,000人と、李福男らの朝鮮軍約1,000人が集まりました。これに対し、日本側には小西行長、島津義弘、蜂須賀家政、藤堂高虎らの軍勢が加わり、兵力では守備側を大きく上回ります。日本軍は城外に陣を築いて防備を探り、四方から城を包囲しました。
この戦いは、再侵攻の初期に全羅道の支配をめぐって行われた大規模な攻城戦です。城内では明・朝鮮の将兵だけでなく、多くの住民も戦火に巻き込まれました。日本側と朝鮮側の史料では旧暦の日付に1日の差がありますが、いずれも数日間の包囲と攻撃を経て、南原城が陥落へ向かったことを伝えています。