出来事

伏見城の戦いが始まる

1600年8月26日(新暦)

慶長5年7月18日(旧暦)

1600年8月26日(慶長5年7月18日)、西軍による伏見城への攻撃が始まりました。徳川家康は上杉景勝に備えるため会津方面へ向かい、畿内の拠点である伏見城には鳥居元忠らを残していました。石田三成らが家康打倒に動くと、伏見城は西軍が東へ進む前に押さえるべき城となります。

元忠は城を明け渡さず、守備兵とともに籠城しました。西軍には宇喜多秀家、小早川秀秋、島津義弘らの軍勢が加わり、城を包囲して攻撃を続けます。兵力差は大きかったとされますが、具体的な人数は史料によって異なります。攻防は十日余りに及び、城内への内通をきっかけに西軍が突入し、元忠らは戦死、伏見城は焼失しました。

西軍は城を落として畿内の足場を固めましたが、その間に家康は反転して西へ進みます。伏見城の戦いは、のちの関ヶ原本戦に直結する最初期の大規模な戦闘でした。籠城が勝敗を単独で決めたとはいえないものの、東西両軍の行動と時間の使い方に影響した重要な前哨戦です。

出典

https://ja.wikipedia.org/wiki/伏見城の戦い https://kyoto-bunkaisan.city.kyoto.lg.jp/report/pdf/tyousa/03/maizou_11.pdf https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi20.html