1597年9月26日、数日間にわたって包囲されていた南原城が日本軍の総攻撃によって陥落しました。宇喜多秀家を主将とする日本の左軍は、城の周囲に設けられた堀や防備を埋めながら接近し、夜間から城壁へ攻撃を集中させました。
城内では楊元率いる明軍と、李福男らの朝鮮軍が各門を守りました。日本軍が城内へ侵入すると激しい戦闘となり、李福男をはじめ多くの朝鮮・明側の指揮官と守備兵が戦死します。楊元は包囲を抜けて脱出しました。城内外では戦闘に加わった住民にも多数の犠牲が出ましたが、人数は資料によって差が大きく、正確な規模を一つに定めることはできません。
南原を攻略した日本軍は、さらに全羅道の中心地・全州へ進みました。全州の明軍は城を放棄し、日本軍は戦わずに入城します。南原城の陥落は、慶長の役初期に日本軍が全羅道内陸部へ進出する道を開いた一方、守備側と住民に甚大な被害をもたらし、戦争の苛烈さを伝える出来事でした。