1567年9月17日、織田信長は斎藤龍興から奪った稲葉山城へ入りました。信長は尾張を統一した後、北隣の美濃へ攻勢を重ね、斎藤氏の家臣だった西美濃三人衆らも味方に加えて美濃を平定します。そして本拠を小牧山城から稲葉山城へ移しました。
信長は城下の井ノ口を「岐阜」と改め、城も岐阜城と呼ばれるようになります。山上の城郭だけでなく、山麓の居館や城下町を整え、尾張と美濃を支配する新たな政治・経済の拠点としました。岐阜は東国と畿内を結ぶ位置にあり、信長が京都を目指すうえでも重要な本拠でした。
岐阜時代の信長は「天下布武」の印を用い始め、翌1568年には足利義昭を奉じて上洛します。岐阜入城は、美濃攻略の完成を示すだけでなく、尾張一国の大名だった信長が畿内の政治へ進出する足場を得た出来事でした。現在の岐阜という地名と都市の歩みも、この本拠移転から始まります。