1550年11月9日(天文19年10月1日)、村上義清が守る信濃の砥石城から退却した武田晴信の軍は、村上軍の追撃を受けて大きな損害を出しました。後に「砥石崩れ」と呼ばれる敗戦です。晴信は8月末に城へ迫り、9月9日から約20日間にわたって攻撃を続けましたが、守りを崩せませんでした。
砥石城は攻め上がる道が限られ、深入りすれば退路を断たれかねない要害でした。さらに村上方へ援軍が来る可能性も高まり、武田軍は9月30日の軍議で撤退を決めます。翌朝に退却を始めると村上軍が追撃し、主力を逃がす殿軍は苦戦しました。横田高松らが討死し、『勝山記』は多数の犠牲が出たと伝えています。
この敗北で武田氏の信濃進出が終わったわけではありません。翌1551年、武田方の真田幸隆が砥石城を攻略し、城はのちに真田氏の重要な拠点となりました。正面攻撃では落とせなかった城を、翌年には調略によって奪ったとみられます。砥石崩れは、武田軍にも地形と退却の難しさが重い代償をもたらした戦いでした。