文化人・僧侶
教如
きょうにょ
- 生年
- 1558年10月27日(永禄元年9月16日)
- 没年
- 1614年
顕如の長男として生まれる
教如は、永禄元年(1558)に本願寺第11世・顕如の長男として生まれた僧侶です。戦国期に大きな勢力を持った本願寺の後継者として育ち、織田信長との石山合戦に関わりました。天正8年(1580)、顕如が勅命による講和を受け入れて石山本願寺を退いた後も、教如は残って抗戦を続けます。
父と方針が対立した教如は義絶されましたが、天正10年(1582)に赦されました。本願寺の再興後は顕如と行動をともにし、天正20年(1592)に父が亡くなると、いったん本願寺を継ぎます。しかし翌年、豊臣秀吉から退隠を命じられ、弟の准如が継職しました。
東本願寺の成立
退隠後も教如は各地の門徒とのつながりを保ちました。慶長7年(1602)、徳川家康から京都烏丸六条・七条間の寺地を与えられ、新たな本願寺を開きます。翌年に親鸞の御真影を迎え、慶長9年(1604)には御影堂を建立しました。
真宗大谷派は教如を東本願寺創立の上人と位置づけています。教如の生涯は、信長との戦い、秀吉による本願寺継承への介入、家康からの寺地寄進を経て、本願寺教団が東西に分かれていく過程と重なります。慶長19年(1614)に亡くなりました。
別名
- 諱 光寿
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