島左近を描いた人物画像

武将・大名

島左近

しまさこん

石田三成を支えた重臣

島左近は、戦国時代から安土桃山時代に活動し、石田三成の重臣として知られる武将です。島清興や島勝猛の名でも伝わりますが、生年や前半生、実名には不明な点が多く、複数の説があります。三成が高い待遇で召し抱えた名将として後世に語られ、軍事面から石田家を支えました。

杭瀬川の戦い

慶長5年(1600)、徳川家康を中心とする東軍と石田三成らの西軍の対立が深まると、左近は三成方の中心的な武将として行動しました。関ヶ原本戦の前日に行われた杭瀬川の戦いでは、蒲生郷舎らとともに東軍を誘い出し、伏兵と反撃によって西軍を勝利へ導いたと伝わります。この戦果は、大垣城で動揺していた西軍の士気を高めました。

関ヶ原での戦い

関ヶ原本戦では、三成が陣を置いた笹尾山の麓で石田隊の前面を守りました。島隊は東軍の攻撃を受け止めて善戦しましたが、戦況は小早川秀秋の離反などによって西軍不利へ傾きます。左近はこの戦いで討死したとする説が広く知られる一方、その最期には異説があり、確実な経過は分かっていません。史料上の不明点を残しながらも、三成を代表する重臣として強く記憶された人物です。

別名

  • 実名として伝わる名 島清興
  • 別表記・異説 島勝猛

この人物に関する歴史

全1件

出来事

杭瀬川の戦いが起きる

1600年10月20日(慶長5年9月14日)、美濃国大垣城の近くを流れる杭瀬川で、関ヶ原本戦の前哨戦となる杭瀬川の戦いが起きました。徳川家康が大垣城の北西にある赤坂へ着陣したため、大垣城にいた西軍では動揺が広がっていました。 西軍の島左近と…

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