1600年10月20日(慶長5年9月14日)、美濃国大垣城の近くを流れる杭瀬川で、関ヶ原本戦の前哨戦となる杭瀬川の戦いが起きました。徳川家康が大垣城の北西にある赤坂へ着陣したため、大垣城にいた西軍では動揺が広がっていました。
西軍の島左近と蒲生郷舎らは、こうした空気を変えるため出撃しました。岐阜県観光連盟の解説では、その兵力は約500人とされます。西軍は一部の兵を伏せたうえで杭瀬川を渡り、東軍の中村一栄隊を挑発しました。追撃を受けると退却するように見せて敵を誘い込み、伏兵とともに反撃します。
東軍は野一色頼母らを失って退き、西軍が勝利しました。討ち取った首の確認は遮那院の門前で行われたと伝わり、この戦果は西軍の士気を高めました。島左近は翌日の関ヶ原本戦でも、石田三成が陣を置いた笹尾山の麓で東軍の攻撃を受け止めます。
杭瀬川の勝利は戦局全体を覆すには至りませんでした。それでも、関ヶ原の戦いが当日突然始まったのではなく、両軍の接触と駆け引きが直前まで続いていたことを伝える重要な前哨戦です。