1535年10月16日(天文4年9月20日)、丹羽長秀が尾張国で生まれました。長秀は若くして織田信長に仕え、信長が尾張国内の主導権を争っていた時期から軍事行動に加わります。のちに柴田勝家らと並ぶ宿老となり、織田政権を支える立場へ進みました。
長秀は合戦の指揮だけでなく、城郭や寺社の造営を取りまとめる実務でも重用されました。信長が1576年に築城を始めた安土城では普請を任され、各地の石材や職人を集める大事業を統括します。若狭一国を与えられた後は北陸方面の軍事と支配にも関わりました。
1582年の本能寺の変後、長秀は羽柴秀吉と合流して山崎の戦いに参加し、清洲会議でも秀吉を支持しました。賤ヶ岳の戦い後には越前・加賀などを与えられます。長秀の誕生は、信長の天下統一事業を戦場と造営の両面で支え、織田政権から豊臣政権への移行にも関わる宿老の出発点でした。