1573年9月16日(天正元年8月20日)、越前朝倉氏最後の当主・朝倉義景が大野郡で自害しました。享年41でした。義景は浅井長政と結んで織田信長に対抗し、この年も信長に攻められた浅井氏を救うため、越前から近江へ軍勢を出していました。
しかし、朝倉軍は撤退中に信長軍の激しい追撃を受け、刀根坂で大敗します。義景は一乗谷へ戻ったものの、軍勢を立て直すことができませんでした。いとこで大野郡司の朝倉景鏡に勧められて一乗谷を離れ、再起を図ろうとしますが、その景鏡が信長方へ転じ、義景の滞在先を兵で囲みました。
逃げ場を失った義景は自ら命を絶ちました。母の光徳院と遺児の愛王丸も捕らえられて後に殺され、朝倉氏の嫡流は絶えます。義景の死は一人の大名の最期にとどまらず、一乗谷を中心に続いた越前支配と、浅井氏と連携して信長に対抗した勢力の崩壊を決定づけました。