1597年10月9日(慶長2年8月28日)、室町幕府第15代将軍・足利義昭が大坂で亡くなりました。義昭は織田信長の支援で1568年に上洛し将軍となりましたが、のちに信長と対立し、1573年に京都を追われました。この時点が室町幕府の実質的な終わりとされています。
ただし、義昭の政治活動は京都追放で終わったわけではありません。紀伊などを経て毛利氏領国の備後・鞆へ移り、将軍の立場を保ったまま諸大名へ働きかけ、信長に対抗しようとしました。義昭が正式に将軍職を辞したのは、追放から15年後の1588年です。
辞職後の義昭は出家し、豊臣秀吉から領地を与えられて大坂を中心に過ごしました。高槻市の解説によれば、死去した1597年にも公家の水無瀬兼成へ将棋駒を注文していましたが、完成を見ることはありませんでした。義昭の死は、幕府滅亡後も豊臣政権の成立まで生き続けた、最後の足利将軍の長い政治人生の終わりでした。