1573年9月26日(天正元年9月1日)、北近江の戦国大名・浅井長政が小谷城で自害しました。長政は織田信長の妹・お市を妻に迎えて同盟を結びましたが、1570年に信長が越前の朝倉義景を攻めると朝倉方に立ち、その後3年にわたって織田軍へ抵抗しました。
1573年、朝倉氏を滅ぼした信長軍は北近江へ引き返し、小谷城を総攻撃します。羽柴秀吉らが城内の京極丸を攻略したことで、父・久政のいる小丸と、長政のいる本丸は分断されました。久政は9月23日に自害し、長政も抗戦を続けられない状況に追い込まれます。長政は妻のお市と娘たちを城外へ送り出した後、自ら命を絶ちました。
長政の死によって、亮政・久政・長政の3代にわたり北近江を治めた浅井氏は大名として滅亡しました。小谷城と旧領は戦功を挙げた秀吉に与えられ、秀吉は琵琶湖岸の今浜に新たな城下町を築きます。政治と経済の中心は山上の小谷から湖岸の長浜へ移り、長政の最期は湖北の地域構造が変わる節目にもなりました。