武将・大名
浅井長政
あざいながまさ
- 生年
- 1545年
- 没年
- 1573年9月26日(天正元年9月1日)
北近江を自立へ導いた浅井氏3代目
浅井長政は、小谷城を本拠に北近江を治めた浅井氏3代目の戦国大名です。父・久政の時代、浅井氏は南近江の六角氏に従属していましたが、この状況に不満を抱いた家臣たちは長政を擁立し、久政を隠居させました。長政は永禄3年(1560)の野良田の戦いで六角軍を破り、独立した領主として北近江の支配を固めていきます。
織田信長との同盟と決裂
長政は織田信長と同盟を結び、信長の妹・市を妻に迎えました。この婚姻によって浅井氏と織田氏は結びつきを強めましたが、元亀元年(1570)、信長が越前の朝倉義景を攻めると長政は信長と敵対します。
浅井氏が朝倉氏との古くからの同盟を優先したためと語られてきましたが、両氏の恒常的な同盟関係を疑問視する研究もあります。長政が離反を決断した理由は、現在も明確には分かっていません。
姉川の戦いから小谷城落城へ
同年の姉川の戦いでは、長政は朝倉氏の援軍とともに織田・徳川連合軍と戦いました。合戦後も小谷城はただちには落ちず、朝倉氏などと連携しながら約3年にわたって抵抗を続けます。しかし織田軍に支城を奪われ、家臣の離反も相次いだことで、浅井氏の勢力は次第に縮小しました。
天正元年(1573)、信長が朝倉氏を滅ぼして北近江へ引き返すと、小谷城は総攻撃を受けました。城内を分断された父・久政が先に自害し、長政も市と娘たちを城外へ送り出した後に自害します。長政の死によって、亮政・久政・長政の3代にわたり北近江を支配した浅井氏は、戦国大名として滅亡しました。
浅井氏が後世に残したもの
小谷城と浅井氏の旧領は、攻略で戦功を挙げた羽柴秀吉に与えられました。秀吉は琵琶湖岸に長浜城と城下町を築き、地域の中心は山上の小谷から湖岸の長浜へ移っていきます。
長政と市の娘たちは、それぞれ後世の政治と深く関わりました。
- 茶々:豊臣秀吉の側室となり、豊臣秀頼を生む
- 初:京極高次の妻となる
- 江:徳川秀忠の妻となり、3代将軍・家光を生む
長政自身の領国は失われましたが、その子どもたちは近世初頭の政治に大きな足跡を残しています。
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