1573年9月23日(天正元年8月27日)、北近江の戦国大名・浅井久政が小谷城で自害しました。久政は浅井亮政の子で、父の死後に家督を継ぎましたが、南近江の六角氏から強い圧力を受けます。六角氏との従属的な関係に不満を持つ家臣らは、嫡男の長政を擁立して久政を隠居させました。
家督を譲った後も久政は小谷城にとどまり、家中で一定の影響力を保ちました。長政が織田信長と敵対すると、久政も父子で籠城を続けます。1573年、同盟する朝倉氏を滅ぼした織田軍は北近江へ引き返し、羽柴秀吉らが小谷城への総攻撃を始めました。
織田軍は城内の京極丸を攻略し、小丸にいた久政と、本丸にいた長政の連絡を断ちます。孤立した久政は長政に先立って自害し、3日後には長政も最期を迎えました。久政の死は一人の隠居当主の最期であるだけでなく、亮政以来3代にわたって北近江を支配した浅井氏が、城内を分断されながら滅亡へ向かう局面を示しています。