1628年10月2日(寛永5年9月5日)、山形藩主・鳥居忠政が山形で亡くなりました。忠政は伏見城の戦いで討死した鳥居元忠の子です。父の死後に家督を継ぎ、磐城平を経て、1622年に最上氏が改易された後の出羽山形へ22万石で入りました。
最上氏の旧領を受け継いだ忠政は、山形城の大規模な改修を行い、現在残る城郭の原型を整えたとされます。寺院の配置を改め、領内検地を進めたほか、城下を流れていた馬見ヶ崎川の流路を変える工事にも取り組みました。広大な旧最上領を幕府に近い譜代大名の支配へ移す役割を担ったのです。
忠政の死後は嫡男の忠恒が家督を継ぎました。しかし忠恒は1636年に嗣子のないまま亡くなり、山形22万石は幕府に没収されます。本来なら家名断絶となるところ、祖父元忠と父忠政の旧功が考慮され、弟の忠春が後に信濃高遠で鳥居家を再興しました。忠政の死は山形藩の代替わりであると同時に、忠節で知られた鳥居家が存続の危機へ向かう節目でもありました。