1585年9月25日(天正13年閏8月2日)、第一次上田合戦で真田昌幸方が徳川軍を退けました。発端は上野国沼田領をめぐる対立です。徳川家康は北条氏との和睦条件に基づいて沼田領の引き渡しを求めましたが、自力で領地を確保してきた昌幸は拒否し、徳川氏を離れて上杉景勝に従いました。
家康は鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉らを上田へ派遣します。上田市の資料では徳川軍7,000余に対し、真田軍は2,000に満たなかったとされます。真田方は築城から間もない上田城に拠り、城下と神川周辺の地形を利用して攻め寄せる軍勢を迎え撃ちました。戦闘の細部や損害数には諸説がありますが、徳川軍が攻略に失敗して撤退した点は共通しています。
この勝利によって昌幸は上田の支配を守り、徳川・北条・上杉が競合する地域で独自の立場を保ちました。その後は豊臣秀吉の支配下に入り、真田氏は大名として存続します。第一次上田合戦は、兵力差を覆した逸話だけでなく、沼田領を守ろうとした昌幸が大勢力から自立する転機として見ることができます。