出来事

伏見城の戦いが終結する

1600年9月8日(新暦)

慶長5年8月1日(旧暦)

鳥居元忠の人物画像

1600年9月8日(慶長5年8月1日)、伏見城の戦いは西軍による城の攻略で終結しました。徳川家康は会津の上杉景勝を討つため大坂を離れる際、京都と大坂を結ぶ要地の伏見城を鳥居元忠らに託していました。石田三成らが挙兵すると、西軍は7月18日から城への攻撃を始めます。

城を守る徳川方は西軍より少数でしたが、降伏せず約2週間にわたって抵抗しました。最終日、西軍が城内へ攻め込み、天守を含む城郭は戦火で焼失します。城将の鳥居元忠をはじめ、松平家忠、内藤家長ら守備側の多くがこの戦いで命を落としました。

伏見城の落城によって西軍は畿内の徳川方拠点を排除しましたが、その間も家康は東国から軍勢を西へ向けていました。戦いは同年9月の関ヶ原本戦に先立つ大規模な攻防となります。焼けた伏見城は関ヶ原で勝利した家康によって再建され、1603年には家康がこの城で征夷大将軍の宣下を受けました。

出典

京都市「伏見城跡 発掘調査報告書」: https://kyoto-bunkaisan.city.kyoto.lg.jp/report/pdf/tyousa/03/maizou_11.pdf 京都市「都市史20 伏見城」: https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi20.html 京都府観光連盟「家康の足跡|都の周辺から」: https://www.kyoto-kankou.or.jp/ieyasu/episode03.html