1603年9月3日(慶長8年7月28日)、徳川秀忠の長女・千姫と豊臣秀頼が大坂城で婚礼を挙げました。千姫は7歳、秀頼は11歳でした。二人の婚約は豊臣秀吉の生前に決められたもので、秀吉の死後も徳川家康によって実行されました。
この年、家康は征夷大将軍に任じられています。一方の秀頼も内大臣となり、武家では家康に次ぐ高い官職にありました。家康の孫娘を秀頼の正室とする婚姻は、徳川家と豊臣家を親族として結び、二つの有力家の関係を保つ政治的な意味を持っていました。
しかし、婚姻によって両家の立場の違いが消えたわけではありません。1605年に将軍職が秀忠へ継承されると徳川家による政権世襲が明確になり、豊臣家との距離は広がっていきます。千姫は大坂城で秀頼と暮らしましたが、12年後の大坂夏の陣で城を脱出し、夫と死別しました。この婚礼は、両家を結ぶ試みであると同時に、のちの対立を止められなかった結びつきでもありました。