出来事

豊臣秀次の妻妾・子女らが処刑される

1595年9月5日(新暦)

文禄4年8月2日(旧暦)

豊臣秀次の人物画像

1595年9月5日(文禄4年8月2日)、豊臣秀次の子ども5人と妻妾34人、計39人が京都の三条河原で処刑されました。秀次は豊臣秀吉の甥で、秀吉から関白職を譲られた後継者でしたが、同年7月に高野山で自害を命じられていました。

処分は秀次一人にとどまらず、幼い子どもや女性たちにまで及びました。一行は市中を進んで処刑場へ送られ、秀次の首を前に次々と命を奪われたと伝わります。遺体は同じ場所に埋められ、その上に秀次の首を納めた塚と、見せしめの文字を刻んだ石塔が置かれました。

処刑から16年後、角倉了以は高瀬川の開削中に荒廃した塚を見つけ、一族を弔うため瑞泉寺を建立しました。現在も寺には秀次と一族の墓所が残ります。この事件は豊臣政権の後継問題が、関白本人だけでなく家族や周囲の女性、子どもへも苛烈な処罰として及んだことを示しています。

出典

https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=7&tourism_id=382 https://www.kyohaku.go.jp/jp/exhibitions/feature/b/hidetsugu_2024/ https://ja.wikipedia.org/wiki/豊臣秀次