1567年11月10日(永禄10年10月10日)、大和で続いていた争いのさなか、東大寺の大仏殿が戦火によって焼失しました。後世「東大寺大仏殿の戦い」と呼ばれる出来事です。当時の大和では、三好三人衆と結んだ筒井順慶らと、松永久秀・三好義継らが対立し、寺院の境内や周辺にも陣が置かれていました。
10月10日の夜、松永・三好義継方が三好三人衆方の陣を攻め、東大寺周辺で激しい戦闘となりました。その最中に火災が起こり、鎌倉時代に再建された大仏殿は焼け落ち、大仏も大きな損傷を受けます。出火の経緯には複数の説があり、松永久秀が意図的に大仏殿へ火を放ったと単純には断定できません。
大仏は仮の修復を受けたものの、大仏殿を含む本格的な復興には長い年月が必要でした。江戸時代に入って公慶が勧進を進め、大仏の修復と現在につながる大仏殿の再建が実現します。戦国大名同士の争いが、軍事拠点だけでなく、古代以来受け継がれた信仰と文化財にも深い傷を残した一夜でした。