鳥居元忠が亡くなる
1600年9月8日(慶長5年8月1日)、徳川家康の家臣・鳥居元忠は伏見城の落城とともに亡くなりました。元忠は家康が幼い頃から仕えた家臣で、家康が会津の上杉景勝を討つため東へ向かった際、京都と大坂の間に位置する伏見城の留守を任されます。 石田…
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1600年9月8日(慶長5年8月1日)、徳川家康の家臣・鳥居元忠は伏見城の落城とともに亡くなりました。元忠は家康が幼い頃から仕えた家臣で、家康が会津の上杉景勝を討つため東へ向かった際、京都と大坂の間に位置する伏見城の留守を任されます。 石田…
1612年9月9日(慶長17年8月14日)、豊後岡の領主・中川秀成が43歳で亡くなりました。秀成は父・清秀と兄・秀政の死後に中川家を継ぎ、1594年に播磨三木から豊後岡へ移ります。岡城を総石垣の近世城郭へ改修し、その西側に竹田の城下町を整え…
1615年9月9日(元和元年7月17日)、禁中並公家諸法度が京都の二条城で制定されました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから間もない時期です。前関白の二条昭実、将軍の徳川秀忠、大御所の徳川家康が連署し、朝廷と公家社会に関する幕府の基本方針を示し…
1599年9月10日(慶長4年7月21日)、小笠原忠知は小笠原秀政の三男として生まれました。母は徳川家康の嫡男・松平信康の娘です。信濃の名族である小笠原家に生まれ、母方では徳川将軍家につながる家系でしたが、三男の忠知は本家を継ぐ立場ではあり…
1622年9月10日(元和8年8月5日)、長崎の西坂で宣教師、修道者、信徒とその家族ら55人が一斉に処刑されました。後に「元和の大殉教」と呼ばれる事件です。西坂は1597年に日本二十六聖人が処刑された場所でもあり、その後も多くのキリスト教徒…
1617年9月11日(元和3年8月12日)、浅野光晟は紀伊国の和歌山城内で生まれました。父は和歌山城主の浅野長晟、母は徳川家康の三女・振姫です。光晟は家康の外孫で、のちの3代将軍・徳川家光の従兄弟にあたりました。 母の振姫は光晟を産んだ直後…
1584年9月15日(天正12年8月11日)、大和国を治めた筒井順慶が36歳で亡くなりました。順慶は興福寺の衆徒を出自とし、松永久秀らとの長い抗争を経て勢力を広げた人物です。織田信長から大和一国の支配を認められると、筒井城から郡山城へ本拠を…
1603年9月15日(慶長8年8月10日)、徳川頼房は徳川家康の十一男として伏見城で生まれました。生母はお万の方で、幼名を鶴千代といいます。この年、家康は征夷大将軍に任じられており、頼房は徳川氏が幕府を開いた年に誕生した子でした。 頼房は3…
1604年9月15日(慶長9年8月22日)、能島村上氏の当主・村上武吉が周防大島で亡くなりました。享年72と伝わります。武吉は瀬戸内海の航路を押さえた村上海賊の一人で、毛利氏と結び、海上の軍事力だけでなく船の通行や交易にも影響力を持ちました…
1573年9月16日(天正元年8月20日)、越前朝倉氏最後の当主・朝倉義景が大野郡で自害しました。享年41でした。義景は浅井長政と結んで織田信長に対抗し、この年も信長に攻められた浅井氏を救うため、越前から近江へ軍勢を出していました。 しかし…
1573年9月16日(天正元年8月20日)、当主・朝倉義景の自害によって、越前朝倉氏は戦国大名として滅亡しました。朝倉氏は応仁の乱を機に越前の支配を確立し、一乗谷を本拠として5代100余年にわたり領国を治めてきました。 義景は近江の浅井長政…
1567年9月17日、織田信長は斎藤龍興から奪った稲葉山城へ入りました。信長は尾張を統一した後、北隣の美濃へ攻勢を重ね、斎藤氏の家臣だった西美濃三人衆らも味方に加えて美濃を平定します。そして本拠を小牧山城から稲葉山城へ移しました。 信長は城…
1598年9月18日(慶長3年8月18日)、豊臣秀吉が伏見城で亡くなりました。秀吉は全国の大名を従えて天下統一を成し遂げましたが、晩年には幼い実子・秀頼へ政権を引き継ぐことが最大の課題となっていました。秀吉の死去時、秀頼はまだ6歳でした。 …
1579年9月19日(天正7年8月29日)、徳川家康の正室・築山殿が浜松近郊で殺害されました。築山殿は今川氏の一門に属した関口氏純の娘とされ、家康が今川氏のもとにいた時期に結婚しました。二人の間には嫡男の松平信康と娘の亀姫が生まれています。…
1498年9月20日(明応7年8月25日)、東海道沖を震源域とする巨大地震が発生しました。明応地震と呼ばれ、規模はマグニチュード8.2~8.4と推定されています。室町時代の地震であるため観測記録はなく、当時の日記や寺社の記録、地形・津波堆積…
1564年9月20日(永禄7年8月15日)、水野勝成は三河国に生まれました。父は水野忠重で、徳川家康とは従兄弟にあたります。徳川氏と近い家に生まれた勝成ですが、若い頃は父との不和から水野家を離れ、諸国を渡り歩くことになりました。 勝成は織田…
1609年9月20日、オランダ東インド会社が肥前国平戸に日本商館を開設しました。オランダ船はその9年前に豊後へ漂着しており、生き残った乗組員の中には、後に徳川家康へ仕えたウィリアム・アダムスもいました。東インド会社は家康から通商を認める朱印…
1620年9月20日(元和6年8月24日)、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が7年ぶりに日本へ帰国しました。常長は仙台藩主・伊達政宗の命を受け、1613年に月浦からサン・フアン・バウティスタ号で出航しました。使節には宣教師ルイス・ソテロら約18…
1579年9月22日(天正7年9月2日)、荒木村重は織田信長軍に包囲されていた有岡城を出て、尼崎城へ移りました。村重が信長に背いてから籠城は約10か月に及び、城内は外部からの援軍を得られないまま厳しい状況に置かれていました。村重に同行したの…
1591年9月22日(天正19年8月5日)、豊臣秀吉と淀殿の子・鶴松が数え3歳で亡くなりました。幼名を棄、棄丸ともいい、実子の誕生を待ち望んでいた秀吉から豊臣家の後継者として期待されていました。しかし幼いころから病気がちで、この年に再び病状…