武田信吉が亡くなる
1603年10月15日(慶長8年9月11日)、水戸城主の武田信吉が亡くなりました。21歳でした。信吉は徳川家康の五男で、幼名を万千代といいます。武田氏一門の穴山梅雪の子・勝千代が早世した後、その名跡を継いで武田姓を称しました。 家康の関東移…
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1603年10月15日(慶長8年9月11日)、水戸城主の武田信吉が亡くなりました。21歳でした。信吉は徳川家康の五男で、幼名を万千代といいます。武田氏一門の穴山梅雪の子・勝千代が早世した後、その名跡を継いで武田姓を称しました。 家康の関東移…
1535年10月16日(天文4年9月20日)、丹羽長秀が尾張国で生まれました。長秀は若くして織田信長に仕え、信長が尾張国内の主導権を争っていた時期から軍事行動に加わります。のちに柴田勝家らと並ぶ宿老となり、織田政権を支える立場へ進みました。…
1555年10月16日(天文24年10月1日)、陶晴賢が厳島の戦いで敗れ、自害しました。晴賢は大内義隆の重臣でしたが、1551年の大寧寺の変で主君を滅ぼし、豊後大友氏から迎えた大内義長を当主に立てて大内氏領国の実権を握っていました。 晴賢と…
1632年10月16日(寛永9年9月3日)、広島藩初代藩主・浅野長晟が亡くなりました。47歳でした。長晟は浅野長政の三男で、兄・幸長が男子を残さず亡くなると紀伊を継ぎました。大坂の陣で徳川方として戦った後、1619年に安芸・備後42万6千石…
1597年10月17日(慶長2年9月7日)、朝鮮の稷山付近で、日本軍と明軍が交戦しました。豊臣秀吉による2度目の朝鮮出兵である慶長の役では、日本軍が南原城を攻略して全州へ進み、さらに北上していました。明軍は漢城を守るため、稷山方面へ部隊を送…
1624年10月17日(寛永元年9月6日)、高台院が亡くなりました。76歳でした。高台院は豊臣秀吉の正室で、北政所、ねねなどの名でも知られます。秀吉が天下人となる過程をともに歩み、豊臣政権では大名の妻や家臣たちと交流し、奥向きを支えました。…
1561年10月18日(永禄4年9月10日、ユリウス暦)、武田信繁が第四次川中島の戦いで討死しました。現在のグレゴリオ暦では10月28日にあたります。信繁は武田信玄の同母弟で、父・信虎から兄以上に期待されたとも伝わりますが、信玄が家督を継い…
1561年10月18日(永禄4年9月10日、ユリウス暦)、山本勘助が第四次川中島の戦いで討死したとされています。現在のグレゴリオ暦では10月28日にあたります。勘助は武田信玄に仕えた武将で、後世の軍記『甲陽軍鑑』では軍略に優れた人物として描…
1561年10月18日(永禄4年9月10日、ユリウス暦)、武田信玄と上杉政虎が北信濃の川中島で激突しました。現在のグレゴリオ暦では10月28日にあたります。両者は北信濃の支配をめぐって繰り返し対陣しており、5度と数えられる川中島の戦いのうち…
1600年10月19日(慶長5年9月13日)、豊後国の石垣原、現在の大分県別府市で石垣原の戦いが起きました。関ヶ原の戦いを目前に全国の大名が二つの陣営へ分かれるなか、豊後では旧領回復を目指す大友義統方と、徳川方に属する黒田孝高・松井康之方の…
1600年10月20日(慶長5年9月14日)、美濃国大垣城の近くを流れる杭瀬川で、関ヶ原本戦の前哨戦となる杭瀬川の戦いが起きました。徳川家康が大垣城の北西にある赤坂へ着陣したため、大垣城にいた西軍では動揺が広がっていました。 西軍の島左近と…
1600年10月21日(慶長5年9月15日)、美濃国関ヶ原で関ヶ原の戦いが起きました。豊臣秀吉が1598年に亡くなると、幼い秀頼を支える五大老・五奉行の均衡は次第に崩れます。徳川家康が政権内で主導権を強める一方、石田三成らは毛利輝元を総大将…
1507年10月23日(永正4年9月18日)は、戦国時代の医師・曲直瀬道三の誕生日とされる日です。ただし、郷土資料には永正3年(1506)生まれとする記述もあり、出生地にも京都説と近江説があります。ここでは西暦日付を明記する資料に従いつつ、…
1597年10月26日、慶長の役のさなか、朝鮮半島南西部の鳴梁海峡で鳴梁海戦が起きました。李舜臣が率いる朝鮮水軍と、藤堂高虎らが加わる日本水軍が衝突した海戦です。 朝鮮水軍は、その約2か月前の漆川梁海戦で壊滅的な打撃を受けていました。当時指…
1643年10月26日(寛永20年9月14日)、江戸幕府3代将軍・徳川家光の乳母を務めた春日局が亡くなりました。本名は福といい、明智光秀の重臣・斎藤利三の娘として生まれた女性です。 父の利三は本能寺の変の後に処刑され、福は母方の縁者に養育さ…
1558年10月27日(永禄元年9月16日)、本願寺第11世・顕如の長男として教如が生まれました。戦国期に大きな勢力を持った本願寺の後継者として生まれたことが、その後の抗戦と本願寺の東西分立に深く結びついていきます。 教如が成長した石山本願…
1645年10月29日(正保2年9月10日)、米沢藩第2代藩主・上杉定勝が米沢城で亡くなりました。42年の生涯でした。定勝は初代藩主・上杉景勝の長男として生まれ、景勝が亡くなった1623年に家督を継いでいます。 上杉氏は関ヶ原の戦い後、会津…
1598年10月30日(慶長3年10月1日)、朝鮮半島南部の泗川で、島津義弘・忠恒らの軍勢が明・朝鮮連合軍の攻撃を退けました。豊臣秀吉による二度目の朝鮮出兵、慶長の役が終盤を迎えた時期の戦いです。 日本軍は朝鮮半島南岸に築いた倭城を拠点とし…
1587年11月1日(天正15年10月1日)、豊臣秀吉が京都の北野天満宮で北野大茶湯を開きました。九州平定を終え、聚楽第の造営を進めていた秀吉が主催した、身分を問わず参加を呼びかける大規模な茶会です。 北野天満宮の境内と周辺には数多くの茶席…
1626年11月3日(寛永3年9月15日)、江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室、江が江戸城で亡くなりました。浅井長政と市の三女として生まれ、姉の茶々、初とともに「浅井三姉妹」として知られる女性です。死後は崇源院の法号を贈られました。 江は豊…