島津義弘が亡くなる
1619年8月30日(元和5年7月21日)、島津義弘は大隅国加治木で亡くなりました。義弘は島津貴久の次男で、兄・義久を軍事面で支え、島津氏の三州統一と九州進出、豊臣政権下の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いを経験しました。 関ヶ原では西軍に属し、敗戦後…
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1619年8月30日(元和5年7月21日)、島津義弘は大隅国加治木で亡くなりました。義弘は島津貴久の次男で、兄・義久を軍事面で支え、島津氏の三州統一と九州進出、豊臣政権下の朝鮮出兵、関ヶ原の戦いを経験しました。 関ヶ原では西軍に属し、敗戦後…
1627年8月30日(寛永4年7月20日)、伊藤仁斎は京都堀川の商家に生まれました。父は学問を好む人物で、仁斎も幼いころから儒学を学びます。武家の家臣や幕府の官学者としてではなく、京都の町人社会に生まれ育ったことは、その後に自宅で私塾を開く…
1593年8月31日(文禄2年8月5日)、堺の豪商・茶人である今井宗久が亡くなりました。宗久は大和から堺へ移り、武野紹鴎に茶の湯を学んでその女婿となりました。商人として財を築くだけでなく、名物茶器と茶の知識を持つ人物として武家政権へ接近しま…
1614年8月31日(慶長19年7月26日)、徳川家康は、京都の方広寺大仏殿で予定されていた開眼供養と梵鐘供養の延期を命じました。大仏殿は豊臣秀頼が再建したもので、豊臣方は片桐且元を駿府へ派遣し、家康の了承を得ながら供養の準備を進めていまし…
1625年8月31日(寛永2年7月29日)、徳川光友は尾州名古屋に生まれました。父は尾張藩初代藩主の徳川義直です。義直は徳川家康の九男であり、その長男として誕生した光友は、御三家の一つである尾張徳川家を継ぐ後継者となりました。 光友は幼名を…
1502年9月1日(文亀2年7月30日)、連歌師の宗祇が箱根湯本で亡くなりました。宗祇は、一人が詠んだ句に別の人が句を付け、長い作品へつなぐ連歌を室町時代後期に大成した人物です。京都だけにとどまらず、武家や地方の文化人を訪ねて各地を旅しまし…
1601年9月1日(慶長6年8月5日)、松平直政は越前北ノ庄で生まれました。父は徳川家康の次男・結城秀康で、直政はその三男です。家康の孫である一方、父の秀康が一時期豊臣秀吉の養子だったため、徳川と豊臣の二人の天下人につながる家系に生まれまし…
1615年9月1日(慶長20年7月9日)、江戸幕府は京都の豊国神社を破却するよう命じました。豊国神社は、豊臣秀吉の死後、その遺体を葬った阿弥陀ヶ峰の麓に造営され、秀吉を「豊国大明神」として祭る場所でした。盛大な豊国祭も行われ、豊臣家の権威を…
1559年9月2日(永禄2年8月1日)、下総国結城を本拠とする戦国大名・結城政勝が亡くなったとされます。政勝は結城氏16代当主として、小田氏や佐竹氏、北条氏などが争う北関東で外交と合戦を重ね、結城氏の領域を広げました。 政勝は領国支配の規則…
1600年9月2日(慶長5年7月25日)、徳川家康と会津征伐に従軍していた諸大名が、下野国小山で「小山評定」を開いたと伝わります。石田三成らの挙兵を知った家康が、上杉景勝への攻撃を中止し、西へ戻るかを諸将に問い、家康支持で結束したという軍議…
1605年9月2日(慶長10年7月19日)、大友義統が配流先で亡くなりました。義統はキリシタン大名として知られる大友宗麟の嫡男で、豊後の大友氏を継いだ人物です。しかし1593年、文禄の役での行動を豊臣秀吉から問題視され、所領を没収されました…
1603年9月3日(慶長8年7月28日)、徳川秀忠の長女・千姫と豊臣秀頼が大坂城で婚礼を挙げました。千姫は7歳、秀頼は11歳でした。二人の婚約は豊臣秀吉の生前に決められたもので、秀吉の死後も徳川家康によって実行されました。 この年、家康は征…
1567年9月5日(永禄10年8月3日)、伊達政宗は出羽国米沢城で生まれました。父は伊達家当主の輝宗、母は最上義光の妹・義姫です。幼名を梵天丸といい、伊達家の嫡男として、南奥羽に勢力を持つ戦国大名家の家督を継ぐことを期待されて育ちました。 …
1595年9月5日(文禄4年8月2日)、豊臣秀次の子ども5人と妻妾34人、計39人が京都の三条河原で処刑されました。秀次は豊臣秀吉の甥で、秀吉から関白職を譲られた後継者でしたが、同年7月に高野山で自害を命じられていました。 処分は秀次一人に…
1595年9月5日(文禄4年8月2日)、最上義光の娘・駒姫が京都の三条河原で処刑されました。駒姫は関白・豊臣秀次の側室に望まれ、山形から京都へ送られました。しかし、到着した頃には秀次が謀反の疑いをかけられ、高野山で自害を命じられていました。…
1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)、畿内を大地震が襲いました。後世に「慶長伏見地震」と呼ばれる地震で、推定規模はマグニチュード7.5前後です。京都では三条から伏見にかけて被害が特に大きく、寺社や民家が多数倒壊しました。 豊臣秀吉が築…
1511年9月6日(永正8年8月14日)、室町幕府第11代将軍だった足利義澄が、近江国の水茎岡山城で亡くなりました。義澄は1493年の明応の政変で、細川政元らが10代将軍・足利義材を追放した後、その後継者として擁立された人物です。 しかし、…
1631年9月6日(寛永8年8月10日)、姫路藩主の本多忠政が亡くなりました。忠政は徳川四天王の一人・本多忠勝の嫡男で、関ヶ原の戦いや大坂の陣に出陣し、父の死後に伊勢桑名藩を継ぎました。1617年には播磨姫路15万石へ移されています。 姫路…
1641年9月7日(寛永18年8月3日)、徳川家綱は3代将軍・徳川家光の長男として生まれました。生母はお楽の方と呼ばれた増山氏で、幼名は徳川将軍家の後継男子に用いられた竹千代です。家光が38歳のときに得た男子であり、家綱の誕生は将軍家の継承…
1600年9月8日(慶長5年8月1日)、伏見城の戦いは西軍による城の攻略で終結しました。徳川家康は会津の上杉景勝を討つため大坂を離れる際、京都と大坂を結ぶ要地の伏見城を鳥居元忠らに託していました。石田三成らが挙兵すると、西軍は7月18日から…