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出来事一覧

合戦、政変、制度や文化など、戦国時代から江戸初期に起きた出来事をたどれます。

出来事の記事

全41件

出来事

毛利元就が井上一族を粛清する

1550年8月25日(天文19年7月13日)、毛利元就は、家中で強い権勢を持っていた井上元兼ら井上一族を粛清しました。井上氏は元就の家督相続を支えた有力家臣でしたが、毛利家中で独自の勢力を築き、当主の命令に従わないことがあるとみなされるよう…

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出来事

伏見城の戦いが始まる

1600年8月26日(慶長5年7月18日)、西軍による伏見城への攻撃が始まりました。徳川家康は上杉景勝に備えるため会津方面へ向かい、畿内の拠点である伏見城には鳥居元忠らを残していました。石田三成らが家康打倒に動くと、伏見城は西軍が東へ進む前…

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出来事

漆川梁海戦で日本水軍が朝鮮水軍を破る

1597年8月27日(慶長2年7月15日)、慶長の役の漆川梁海戦で、日本水軍が朝鮮水軍を破りました。休戦交渉が決裂して豊臣秀吉が再び朝鮮半島へ軍を送るなか、朝鮮水軍では李舜臣が指揮官を解任され、元均が後任となっていました。 朝鮮水軍は釜山方…

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出来事

豊臣秀吉が刀狩令を出す

1588年8月29日(天正16年7月8日)、豊臣秀吉は諸国の百姓が持つ刀、脇差、弓、槍、鉄砲などの武具を提出させる刀狩令を出しました。法令では、百姓が武具を持てば年貢を納めず一揆を企てるため、耕作に専念させるとしています。 提出させた武具は…

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徳川家康が江戸城に入る

1590年8月30日(天正18年8月1日)、徳川家康は江戸へ入りました。豊臣秀吉の小田原攻めで後北条氏が滅ぶと、家康は三河・遠江・駿河などの旧領から関東へ移されます。江戸城は、広大な新領国を治めるための新たな本拠となりました。 当時の江戸に…

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出来事

武家諸法度(元和令)が発布される

1615年8月30日(慶長20年7月7日)、江戸幕府は伏見城で諸大名に武家諸法度を示しました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んだ直後のことで、全国の大名が従うべき原則を明文化し、戦乱後の秩序を整える狙いがありました。 最初の武家諸法度は13か条から…

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徳川家康が方広寺大仏殿の供養延期を命じる

1614年8月31日(慶長19年7月26日)、徳川家康は、京都の方広寺大仏殿で予定されていた開眼供養と梵鐘供養の延期を命じました。大仏殿は豊臣秀頼が再建したもので、豊臣方は片桐且元を駿府へ派遣し、家康の了承を得ながら供養の準備を進めていまし…

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出来事

江戸幕府が京都・豊国神社の破却を命じる

1615年9月1日(慶長20年7月9日)、江戸幕府は京都の豊国神社を破却するよう命じました。豊国神社は、豊臣秀吉の死後、その遺体を葬った阿弥陀ヶ峰の麓に造営され、秀吉を「豊国大明神」として祭る場所でした。盛大な豊国祭も行われ、豊臣家の権威を…

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小山評定が開かれたとされる

1600年9月2日(慶長5年7月25日)、徳川家康と会津征伐に従軍していた諸大名が、下野国小山で「小山評定」を開いたと伝わります。石田三成らの挙兵を知った家康が、上杉景勝への攻撃を中止し、西へ戻るかを諸将に問い、家康支持で結束したという軍議…

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千姫が豊臣秀頼に輿入れする

1603年9月3日(慶長8年7月28日)、徳川秀忠の長女・千姫と豊臣秀頼が大坂城で婚礼を挙げました。千姫は7歳、秀頼は11歳でした。二人の婚約は豊臣秀吉の生前に決められたもので、秀吉の死後も徳川家康によって実行されました。 この年、家康は征…

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豊臣秀次の妻妾・子女らが処刑される

1595年9月5日(文禄4年8月2日)、豊臣秀次の子ども5人と妻妾34人、計39人が京都の三条河原で処刑されました。秀次は豊臣秀吉の甥で、秀吉から関白職を譲られた後継者でしたが、同年7月に高野山で自害を命じられていました。 処分は秀次一人に…

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慶長伏見地震が発生する

1596年9月5日(文禄5年閏7月13日)、畿内を大地震が襲いました。後世に「慶長伏見地震」と呼ばれる地震で、推定規模はマグニチュード7.5前後です。京都では三条から伏見にかけて被害が特に大きく、寺社や民家が多数倒壊しました。 豊臣秀吉が築…

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伏見城の戦いが終結する

1600年9月8日(慶長5年8月1日)、伏見城の戦いは西軍による城の攻略で終結しました。徳川家康は会津の上杉景勝を討つため大坂を離れる際、京都と大坂を結ぶ要地の伏見城を鳥居元忠らに託していました。石田三成らが挙兵すると、西軍は7月18日から…

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禁中並公家諸法度が公布される

1615年9月9日(元和元年7月17日)、禁中並公家諸法度が京都の二条城で制定されました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅んでから間もない時期です。前関白の二条昭実、将軍の徳川秀忠、大御所の徳川家康が連署し、朝廷と公家社会に関する幕府の基本方針を示し…

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元和の大殉教が起きる

1622年9月10日(元和8年8月5日)、長崎の西坂で宣教師、修道者、信徒とその家族ら55人が一斉に処刑されました。後に「元和の大殉教」と呼ばれる事件です。西坂は1597年に日本二十六聖人が処刑された場所でもあり、その後も多くのキリスト教徒…

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越前朝倉氏が滅亡する

1573年9月16日(天正元年8月20日)、当主・朝倉義景の自害によって、越前朝倉氏は戦国大名として滅亡しました。朝倉氏は応仁の乱を機に越前の支配を確立し、一乗谷を本拠として5代100余年にわたり領国を治めてきました。 義景は近江の浅井長政…

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織田信長が岐阜城に入る

1567年9月17日、織田信長は斎藤龍興から奪った稲葉山城へ入りました。信長は尾張を統一した後、北隣の美濃へ攻勢を重ね、斎藤氏の家臣だった西美濃三人衆らも味方に加えて美濃を平定します。そして本拠を小牧山城から稲葉山城へ移しました。 信長は城…

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明応地震が起きる

1498年9月20日(明応7年8月25日)、東海道沖を震源域とする巨大地震が発生しました。明応地震と呼ばれ、規模はマグニチュード8.2~8.4と推定されています。室町時代の地震であるため観測記録はなく、当時の日記や寺社の記録、地形・津波堆積…

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平戸オランダ商館が開設される

1609年9月20日、オランダ東インド会社が肥前国平戸に日本商館を開設しました。オランダ船はその9年前に豊後へ漂着しており、生き残った乗組員の中には、後に徳川家康へ仕えたウィリアム・アダムスもいました。東インド会社は家康から通商を認める朱印…

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支倉常長が日本へ帰国する

1620年9月20日(元和6年8月24日)、慶長遣欧使節を率いた支倉常長が7年ぶりに日本へ帰国しました。常長は仙台藩主・伊達政宗の命を受け、1613年に月浦からサン・フアン・バウティスタ号で出航しました。使節には宣教師ルイス・ソテロら約18…

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